故・木原秀雄氏・資料館

小惑星「Kihara(木原)」へ


   

故・木原秀雄 氏・経歴


  「  経   歴  」

  明治44年        東京生まれ
  昭和 8年        旭川師範本科二部卒
  昭和 8年        比布町蘭留小学校を振り出しに教育生活に入る
                 昭和15年名寄小学校を経て旧名寄中学校(現名寄高校)に30年勤続
                 昭和47年3月退職(教員生活40年)
  昭和11年6月19日   遠軽にて初めて皆既日食を観測、黒い太陽の美観に魅了され以後天体観測を続ける
  昭和17年7月      口径15cmの反射式望遠鏡の自作に成功
  昭和18年2月5日    名寄での皆既日食観測成功
  昭和23年5月9日    礼文島での皆既日食観測成功
  昭和32年5月6日    水星の日面通過の写真観測成功
  昭和48年12月10日   木原天文台設立
  平成 4年3月1日    天文台を名寄市に寄贈
  平成 5年4月22日   永眠 (83才)


  「 主な研究論文 」

  ◎ 地学教科における天文教材の指導と実践
  ◎ 三角関数式の計算図表と日食計算への応用
  ◎ 接線極座標とロケット軌道計算への応用
  ◎ 接線座標票と卵形線への応用


  「 受賞関係歴 」

  昭和35年11月   名寄文化賞受賞            天文学普及の功績に依り
  昭和45年 2月   北海道教育委員会表彰        数学、天文視聴覚教育の実践の功績に依り
  昭和56年 8月   杉村先生記念奨学財団表彰     東亜天文学会太陽課の標準観測者として
                                     天文学会に於ける顕著な功績
  昭和59年 2月   北海道教育庁上川教育局表彰   私設天文台を一般公開に開放し天文の普及を
                                     通して社会教育の振興に貢献


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 昭和20年代(詳細不明)、当時国立科学博物館の村山
定男先生とのスナップ撮影 (左:村山先生 右:木原先生)
昭和17年に制作された15cm反射望遠鏡の鏡


昭和23年5月9日の礼文島・金環日食観測資料
   
現代と比べるとなにもない時代に、手製の望遠鏡と独自で日食位置計算を行い見事に観測に成功したことは、星に対する情熱
の結果でした。この時の日食は100年間に一度というまれな現象で、太陽の見かけの直径と、月の見かけの直径がほぼ一緒
になり重なる「金環日食」でした。連続撮影に成功した写真は、東京上野の国立科学博物館に10年間ほど飾られていたと聞い
ています ( 下の写真)。


       

太陽黒点観測・17年間の記録
名寄高校を退職後、わずかな晴れ間も見逃すことなく続けられた太陽黒点の観測データーです。太陽の表面に発生する
黒点は、太陽表面より約1500度ほど温度が低い部分で、11年〜12年の周期で極大・極小を繰り返しています。
下のグラフは太陽表面の北半球 (中央横線から上) と南半球 (中央横線から下) に出現した黒点の位置をプロットしたも
ので、蝶々の羽の形に似ていることから「蝶形図」と呼ばれています。17年間の観測で見事に表されています。

        

  
故・木原秀雄氏・生涯太陽観測日数
     
総観測年   17年
生涯観測日数 4,601日
年平均日数  271日


日数 日数
1974 149 1983 286
1975 250 1984 306
1976 269 1985 297
1977 270 1986 294
1978 275 1987 269
1979 289 1988 290
1980 286 1989 235
1981 284 1990 270
1982 282